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国際協調とナショナリズムがせめぎ合う時代。国内外の政治経済に働きかけることで通商を促進しようとした「自由通商運動」と、それを率いた大阪財界の軌跡を追う。
1928年、国際連盟の掲げた目標の一つである通商自由主義を実現し、関税引き上げの動きを抑止することを主たる目的として自由通商協会が創設された。自由通商運動は古典経済学的アイデアを背景としつつも、戦間期の国際協調とナショナリズムがせめぎ合う国際政治経済状況、日本の人口増加、資源問題、社会問題などを前提としつつ国際的、国内的政治経済状況に働きかけて可能な限り関税低下などによって通商を促進しようと活動した。自由通商運動は、財界人や上田貞次郎のような学者など異分野の自由主義的改革に関心を持つ人々の緩やかな連合体であり、そのために水準の高い機関誌を発行すると同時に政治や関係省庁に働きかけて実際運動も行うことが可能になった。自由通商協会は各地に支部を持っていたが、特に平生釟三郎や村田省蔵などの財界人に率いられた大阪の活動が盛んであった。戦間期の大阪は、東京と比較しても政府の保護を受けることが比較的少ない多様な産業基盤を持つ先進都市で、その貿易都市としての性格が自由通商運動の支持基盤となったといえる。
昭和戦前期は、1920年代後半の政党内閣と協調外交の時代から、満洲事変以後における戦時体制化と対外膨張の時代への転換が生じた時期にあたる。自由通商運動はこの時期の中で大きく三期に分けることができる。第一期は満洲事変以前の政党内閣期である。特に民政党内閣期には井上準之助蔵相を通じて相当な影響力を発揮することができた。第二期は満洲事変から盧溝橋事件までである。満洲事変や経済摩擦の激化という悪化する状況において、その性格を変化させながらも自由通商運動は継続された。第三期は日中戦争以後である。この頃運動は本格的に変容し、最終的には「大東亜共栄圏」と同一化する道へ向かう。本書では、この時期区分に沿って自由通商運動と大阪財界、ならびにその指導的人物の軌跡を分析し、昭和戦前期の政治経済上の変動に与えた影響と意義を考察する。補論では大阪帝国大学の設立過程、および実業同志会や東方文化連盟と大阪財界の関係の推移に注目し、その動向を考察する。
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