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万博・五輪・宇宙開発・原子力……、「昭和」という亡霊はいつまで僕らを呪縛し続けるのか?
セビリア、ミラノなど世界の万博跡地から見えてきた2025年大阪万博問題とは?
1964年東京五輪がなければ、高度成長はしていなかったのか?
種子島・宇宙基地、米・核実験博物館、独・原発跡地遊園地から見えてきた「近代」とは?
古市憲寿が「昭和」の夢の跡を歩きながら考えたこと――。
【本文より】
昔からタイムリープや転生をテーマにした作品を観るたびに思っていたことがある。もしも成功する人生の選択肢が提示されたとして、僕たちは本当に、元々の人生を潔くあきらめられるだろうか、と。
たとえば、本当だったら僕と一緒に笑っていたはずの友人が、他人として目の前を通り過ぎていく。この「成功」するための人生では彼らと知り合う必要はない。その運命に人は耐えられるのだろうか。思わず彼らに声をかけたくはならないのだろうか。
この、ろくでもない「昭和100年」を迎える日本だからこそ、出会えた人もいれば、生まれた小説や映画、音楽がある。素晴らしい「昭和100年」では、同じ人間でも思想や信条は違ったものになっていただろう。当然ながら、本書『昭和100年』も出版されていなかった。
僕たちは、この「昭和100年」を迎える世界だからこそ、僕たちとして存在している。
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