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本書は、近世から近代における定住する俗聖の実態を明らかにしたものである。具体的には、空也堂配下の鉢屋・茶筅、時宗の末端にいた鉦打を分析した。これまで、俗聖について論究したものは、柳田国男・堀一郎をはじめとして多くあるが、いずれも為政者側の史料や地誌をもとにしたものであり、俗聖そのものの史料を扱ったものは少なかった。俗聖側からの視点というのは、本書が初めて試みたといっても過言ではない。鉢屋・茶筅については、本山であった空也堂の史料と茶筅側の史料を突き合わせて考察した。茶筅たちはそれぞれ定着した地域で葬祭等の一角を担い、またさまざまな生業を営みながら生き抜いてきた。俗聖の最大の問題は身分の向上であったが、束縛された定住生活のなかでどのように展開し身分の向上を図ったかを明らかにした。その結果,鉢屋・茶筅がその由緒を行基・明遍にもとめ、最終的にたどり着いたのが空也であった。日本宗教史の視角から示した近世社会で、身分外ととらえられていた俗聖に本末関係が成立していたことである。京都において鉢叩きを空也由緒のもとに統括していた空也堂が、こうした俗聖を配下に置くことで寺院経営を安定化させようとしたもので、空也堂は幕末期には六斎念仏講に由緒を示す鑑札等を下賜すると同時に上納金を受け取り、浄土真宗系秘事法門、在家念仏集団を包摂し、本末関係を継続していった。こうした本末関係は、空也が醍醐天皇の皇子であったという中世以来の由緒であり、そのハイライトが天皇の崩御に末流の俗聖が空也堂主催の焼香式への参列であった。焼香式は明治天皇、貞明皇太后、大正天皇、昭憲皇太后、英照皇太后へと継続していく。また時宗配下の鉦打を取り上げ「盆道具」を販売する農民を配下の売継とし、大山御師からも収入を得ていたことを示した。宗教者が配札行う際の窓口的側面を持った。問題は村落が鉦打を大切に取り扱っていることであり、鉦打が遊行上人に供奉修行をすることにより免状を受け、断絶しそうなときは農民から沙弥を仕立て時宗寺院に付属するというものであった。以上を通じて本書は、史実を正しく認識し、差別などの低い扱いすべての問題に対する理解を深め、解消することを念願している。
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