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杉田一弥の第二活花作品集。杉田一弥は一貫して現代陶芸に花を活け、それを写真に写すことで作品としてきた。現代陶芸は、作品として自立し時には花器であることを拒否しようとする。杉田はあえて現代陶芸と格闘し、花を活けてきた。そして、それを記録としてではなく、写真家とタイアップして写真作品として鑑賞される活花として作りあげてきた。今回は3人の写真家、来田 猛、麥生田兵吾、入交佐妃の写真による。杉田は伝統的な活花をめざしているのではない。活花が現代アートでありうることを実現しようとする。そのために花器として、現代陶芸が選ばれているのであり、現代的な感覚の写真家とタイアップしているのである。本作品集は、第一作品集『香玉』と比べ、より現代的に、よりポップに表現されている。しかし興味深いのは、来田や麥生田が、全てアナログ大判カメラでフィルム撮影(4×5カラーポジ)していることである。杉田は一方で、デジタルカメラにはないカラーフィルム撮影の良さを生かそうとしているのである。
[以下、清水穣解説「花と器と写真のフュージョン、杉田一弥の花」より]
活け花とは、花という素材を用いた立体芸術であり、それ自体として鑑賞される芸術作品だ、と言われる。あるいは活け花とは、花や器を用いた空間全体のデザインであり、活け花はそれが置かれた空間全体の質を変化させる一種の建築である、と。草月流を始め、現代の華道家の前に必ず立ちはだかる存在である中川幸夫も含めて、活け花の美学はだいたいこの二つの方向のバランスとして成立するだろう。が、両者は共通の条件下に置かれている。生花の芸術として、その存在に時間的制限があるということである。活け花のどの状態が作者の望んだ表現なのかが曖昧なのだ。展覧会初日の瑞々しい状態か、1 週間経って萎れてきた頃か。あるいは、前者から後者からまでの時の経過が主題なのか。中川幸夫の花に至っては、あきらかに撮影の瞬間をすぎれば形が崩れたと思われるケースも多い。
こうして実際の活け花とは別に、そのベストの状態を写し留めた写真による「作品集」を作って初めて、華道家は歴史に残ることができる。そしてそれは、華道家の美意識を正確に写し出す写真でなければならないから、写真家の役割は本質的である。この考えを一歩進めて、活け花とは、活け花を撮影した写真であり、ただし活け花やそのインスタレーションの記録写真ではなく、写真作品として鑑賞される活け花なのだ、と。それが杉田一弥の花の出発点である。そこでは写真家との密接な協働作業が欠かせない。前作品集『香玉』(青幻舎、2013 年、木村羊一とのコラボレーション)の後、本作品集は、新たに来田猛、麥生田兵吾そして入交佐妃の協力を得て、写真作品としての独立性をさらに高めたシリーズである。作品を主役として念入りに背景が設えられ(来田)、さらに背景が絵の具を溶かしたように流動化し(入交)、デジタル技術を踏まえた緻密なライティングとピント構成(麥生田)によって実現された写真は、前作よりも遥かにアート寄りになっている。
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