プラーツは一九二六年にスペインを訪れた。その若きプラーツが原著において意図したもの、それは一九世紀以降の西欧の近代文学、とりわけ紀行文において、ワシントン・アーヴィングやプロスペル・メリメ、テオフィル・ゴーティエやエドモンド・デ・アミーチスらによって営々とひきつがれ、築きあげられてきた、「ピクチャレスク」で「ロマン主義的」、そしてイスラム文化の影響により多分にエキゾチックなスペインのイメージ、すなわち闘牛とフラメンコ、アルハンブラ宮殿とシェリー酒に彩られた定型的、常套句的なスペイン像に対して論駁することであった。そしてプラーツは、スペインの文化や芸術の本質が、「ピクチャレスク」どころかむしろ反対の「偉大で力強いモノトーン」であることを、いささか自家撞着的だが、体験談や引用を抱負に織り込んだ「ピクチャレスク」な文体によって例証していく。しかしプラーツの目的は、ドキュメンタリーやルポルタージュ的な意図によって、スペイン社会の現実に光をあてることではない。プラーツの関心は、終始一貫して、現実のスペインに対してよりもむしろ文学で描かれたスペインに、あるいはスペイン的なものの表象としての美術や建築、風習などに対して向けられている。また多くの引用に彩られた記述は、スペインの現実との乖離を指摘しながらも、ロマン主義のスペイン紀行を批判的に回顧するような、旅行記の体裁を装った文学批評とも解釈できる。さらに言えば、若きプラーツには、文学史家、批評家としての領分にとどまらず、自らスペイン叙述の新たなかたちを示そうという、一種の文学的野心をもうかがいみることができる。つまり本書自体が、批判的な立ち位置を示しつつも、スペイン紀行の文学的伝統に連なっているのである。
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