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大庭景義(景能)は、桓武平氏の末裔で、元々源氏普代の御家人である。市川団十郎家歌舞伎十八番の一つ「暫」のモデルである鎌倉権五郎景政(景正)の曾孫になる。
源義朝に仕えていたおり保元の乱に従軍し、鎮西八幡太郎為朝の矢が足に当たり負傷し、その後懐島(茅ヶ崎市円蔵)で暮らす。為朝の矢に当たって生き残ったものは景義一人と言われていた。頼朝の側近の独りとして生涯頼朝を支えてきた人物で、頼朝から懐島の地七千坪と左三つ巴紋を下附された。
浄土真宗本願寺派(西)山口県山口市松林山端坊と、萩市松林山端坊の二ケ寺は共に景政、景義の末裔の開基の寺院であった縁により、『吾妻鏡』に再々名前が登場する大庭景義を取り上げることにしたのである。
(本書「はじめに」より一部抜粋)
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