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19世紀から20世紀前半にかけてのドイツにおける軍事思想の発展については、主に政軍関係の転倒という観点から、その検証作業は多数なされてきた。第一次世界大戦における「総力戦」の出現によって、政治の手段としての戦争が自己目的化し、最終的には政治は戦争に奉仕すべきであると主張するルーデンドルフの独裁をまねくに至ったプロセスの分析に主眼を置いたものであった。しかし、プロイセン・ドイツの史的発展と不可分なドイツにおける軍事思想の発展は、モルトケによるドイツ統一戦争の勝利で頂点に達し、既にルーデンドルフの登場以前にシュリーフェンにおいて袋小路に陥り、様々な面で限界につきあたっていた。シュリーフェンの基本的コンセプトに従って行われた、第一次世界大戦の開戦劈頭におけるドイツ軍の西方攻勢が、ベルギーの中立侵犯によるイギリスの参戦とマルヌの戦いにおける敗北をまねいたことが、それを暗示している。モルトケ以降、なぜドイツ軍は最終的な軍事的勝利を手にすることができなくなったのか。またシュリーフェンは実際に勝利の栄冠を手に入れたわけではないにもかかわらず、その対仏作戦計画は天才的と称され、後世の軍人たちから高い評価を受けるようになったのは何故なのか。クラウゼヴィッツとルーデンドルフの間に位置するモルトケとシュリーフェンの軍事思想を比較検討することで、疑問に対する解答の一助を求めることにした。
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