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カズオ・イシグロの語りながら語らない、沈黙の文学は何を「語って」いるのか。本書は、『幽かなる丘の眺め』(1983)から『クララとお日さま』(2021)に至る全長編8篇を曲亭馬琴の「省筆」をキーワードとして読み解こうとする試みである。馬琴は『南総里見八犬伝』中の「稗史七則」で、「偸聞(たちぎき)させて筆を省く」という「省筆」の手法を述べた。イシグロの小説では「偸聞」の語りが頻出する。読者は「信頼できない語り手」の語りを偸聞する過程で、語られていない巨大な何ものかとの対峙を迫られる。晩年のデリダは、バルト、ド・マン、フーコーら、二十世紀の知の巨人たち、さらにマルクス主義という巨大な思想を振り返って、フロイト的「喪の作業」を実践することに執念を燃やしていた。イシグロは、知の巨人たちではなく、歴史の暴風に巻き込まれ、非業の死を迎えなければならなかった幾千万の名もなき死者たちへの、それぞれにかけがえのない人生の記憶を持った死者たちへの鎮魂歌を、愛惜の念を持って、書き続けている。彼の作品の全体が、戦争と強制収容所の世紀、「長い20世紀」を埋葬しようとするフロイト/デリダ的「喪の作業」であり、「喪の物語」というマクロ・ナラティヴを構築する。
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