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フルトヴェングラー、ストラヴィンスキー、シャリアピン、ストコフスキー……
大音楽家70人の手形を原寸大・オールカラーで観る!
日本楽壇の父、近衞秀麿が蒐集したコレクションを一挙公開。
巨匠たちの素顔がよみがえる!
表紙に「Forget Me Not」という題字の記された3冊の手形帖──。
指揮者・作曲家として、黎明期の日本楽壇を牽引した近衞秀麿(1898〓1973)は、交流した音楽家たちにこの手形帖を渡し、そこに手形とメッセージを残してもらうことを生涯の愉しみとしていた。
本書は、近衞が1935年(昭和10)から1971年(昭和46)まで、戦前から最晩年まで36年間にわたって蒐集しつづけた大音楽家たちの手形70点を、関連資料とともに収載したものである。
「日本楽壇の父」と崇められながら、ひとりの音楽愛好家として巨匠たちへの憧れを隠すことのなかった近衞のコレクターとしての姿と、20世紀の巨匠たちの素顔が垣間見える貴重なコレクションである。
近衞秀麿(このえ・ひでまろ、1898-1973)
1898年、 貴族院議長および学習院院長を務めた近衞篤麿の次男として東京に生まれる。異母兄は日本の総理大臣を務めた近衞文麿(1891-1945)。
今日のNHK交響楽団の前身である新交響楽団を設立し、日本の交響楽の普及・発展の基礎を確立する一方、ベルリン・ フィルハーモニー管弦楽団やフィラデルフィア管弦楽団など欧米各地のオーケストラを指揮し、国際的な評価を得た。また、フルトヴェングラーやストコフスキーといった指揮者、リヒャルト・シュトラウス、 シベリウス、ストラヴィンスキーといった作曲家たちと親交を結び、 近衞との交流を通して来日した音楽家も少なくない。昭和天皇の即位を記念して作曲した《大禮交声曲》や《ちんちん千鳥》をはじめとした創作活動もおこない、 なかでも管弦楽用に編曲した《越天楽》 は海外で広く知られた最初の日本音楽といえる。 戦後はこうした活動が評価され、ロン・ ティボー国際コンクールの審査員を務めた。
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