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スハ44系は、戦後の幹線特急用として1951(昭和26)年に49両が製造された客車で、3等車ながら前向きの2人掛け座席が並ぶその車内設備は当時「特ハ」として一般車両と区別されました。
用途に合わせスハ44・スハフ43・スハニ35の3形式が登場し、東京~大阪間を結ぶ「つばめ」「はと」など当時の花形列車で使用されましたが、特に1956(昭和31)11月、念願の東海道線電化が完成した際には、蒸気機関車の煤煙で汚れる心配がなくなったことから編成全体の塗色をライトグリーンに一新、その雄姿はファンから「青大将」と呼ばれ親しまれました。さらに山陽特急「かもめ」や東北特急「はつかり」にも使用され、束の間の全盛期を築きました。
しかし、1960(昭和35)年に151系特急型電車や80系特急型気動車が登場すると特急運用は激減、さらに終端駅で編成ごとの方向転回が必要な44系は嫌われたため、座席を回転式に改造して夜行急行列車や観光団体列車などに使われるようになりました。しかし夜行列車の削減などから44系に向いた列車が少なくなり、スハニ35は荷物車などに改造、またスハフ43の一部は四国に渡り、ローカル列車で使用されました。
汎用性の高い43系に比べ限られた用途から、各地を転々とした44系客車。その波乱万丈な生涯を、多数の写真や編成記録を交え全64頁で解説します。
内容
カラーグラフ スハ44系客車の生涯
はじめに
1.特急用客車の誕生
2.難航した山陽特急と急行での当座使用
3.「青大将」への衣替え
4.「かもめ」の編成替えと「さくら」への転身
5.「はつかり」の新設
6.特急運用からの離脱、急行用改造と観光団体列車
7.「みずほ」での特急運用復活
8.1960年代の急行運用
9.冷遇されるスハニ35とローカル線への転身
10.荷物車、事業用車への改造
11.廃車と四国への転属
12.大井川鉄道へ
13.三角線での転向
14.形式別解説
column 1 戦前の「特ハ」、スハ33
column 2 実はなかった?「観光団体色」
column 3 南紀観光号は何回向きを変えたか
column 4 要人用列車で重宝されたスハニ35
column 5 電暖改造されなかったスハ44系
column 6 1輌だけ出現したオハネ17改造車
column 7 スハ44系は何色か
おわりに
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