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ワシントン会議の結果、海軍内部の亀裂が広がっていく時期の史料
海軍エリートとして順調に栄進し、42歳の若さで海軍次官に就任した財部は、旅順要港司令官、舞鶴鎮守府司令長官、佐世保鎮守府司令長官、横須賀鎮守府長官を歴任し、大正12年に海軍大臣に就任。
財部の日記は、海軍次官時代(山川出版社刊、1983年)、海軍大臣時代(芙蓉書房出版刊、2021年)のものがすでに刊行されている。
?本書は海軍大臣時代直前の大正10年・11年(佐世保鎮守府司令長官時代後半と横須賀鎮守府司令長官時代前半)の日記の翻刻。
大正10年・11年は、ワシントン会議で主力艦の比率を英米5、日本3と定めた海軍軍縮条約、太平洋の現状維持を定めた四カ国条約、中国の領土保全、門戸開放などを定めた九カ国条約が締結され、昭和6年の満州事変に至るまでのワシントン体制が確立された時期。
加藤友三郎ら海軍主流はワシントン会議の結果を受け入れて海軍軍縮、日米協調の方向に舵を切ったが、加藤寛治らは軍備格差の固定化を国防の不安につながるとした。この小さな亀裂は昭和5年のロンドン海軍軍縮条約締結以降いっそう広がり「条約派」「艦隊派」と呼ばれる対立となり、さらには国民をも巻き込んだ国家の大分裂へとつながっていく。
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