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「我々は彼らを忘れない」知られざる英国人たちの物語
平野丸(日本郵船)とは、イギリスと日本を結んだ定期旅客船。第一次大戦末期、ドイツのUボートに撃沈され多くの犠牲者を出した。そして海沿いの英国の村に流れ着いた日本人らの遺体を、地元住民が手厚く埋葬した。それから100年。長い年月の中で失われた墓標を再建しようと、英国の人々が立ち上がった。
平野丸は長崎の三菱造船所で建造され、1908年(明治41年)に日本とロンドンを結ぶ欧州定期航路に就航した。与謝野晶子も1912年(大正元年)にフランスから日本に帰国する際に平野丸に乗船している。1914年に第一次大戦が勃発し、日本が連合国陣営で参戦すると、日本の商船もドイツ帝国海軍の潜水艦(Uボート)による攻撃対象となった。しかし日本郵船はこれにひるむことなく、連合国軍艦の護衛を受けて欧州航路の運航を継続した。休戦協定締結1カ月前の1918年10月、平野丸はアメリカ海軍の護衛の下、リバプールから横浜へ向け出航。出発からほどなくUボートによる攻撃を受け、魚雷2発が命中し沈没した。乗客と乗組員計240人のうち210人が犠牲となった。
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