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平和の使者か、俗物か?
誰よりも人の心をつかんだ男の魅力に迫る
日本最大の新宗教、創価学会の池田大作名誉会長が2023年11月15日に95歳で死去した。
創価学会内で「永遠の師匠」とされる池田は、さまざまな毀誉褒貶に彩られた人物だった。
「貧乏の横綱」と自嘲するほど赤貧の出身ではあったが、20代後半に創価学会に入信して人生が大きく変わる。1960年に32歳の若さで第3代創価学会会長に就任。以降、親しみやすい人柄と巧みな弁舌を武器に、「折伏大行進」の先頭に立って組織拡大に邁進し、会員世帯数827万(公称)もの信者を獲得するに至る。田中角栄をはじめとする政治家や松下幸之助ら実業家など、有力者も池田に魅了された。さらには公明党を創設し、念願の政界進出を果たした。
一方で、強引な折伏によって各地でトラブルが発生した。また、政教一致と受け取られかねない創価学会の主張は世論の大きな反発を招いた。池田は創価学会への批判を封じ込めようとして「言論出版妨害事件」を起こし、逆に世間から猛反発を招いたあげく、ついには政教一致路線を公式に撤回せざるを得なくなる。以降、創価学会は「世界平和」を掲げ、池田は「平和の使者」としての顔を前面に打ち出すようになった。
組織内の権力闘争も波紋を呼んだ。稀代のケンカ師でもある池田は、かつての仲間であっても、みずからを批判する者には容赦ない攻撃を加え、追放した。また、創価学会はもともと日蓮正宗の信徒団体から生まれたにもかかわらず、日蓮正宗とは泥沼の争いを繰り広げ、最終的に創価学会は破門されてしまう。
それでも創価学会は、池田のカリスマ性によって求心力を保ってきた。ポピュリズムを先取りした池田は「庶民の味方」として振る舞い、創価学会は次第に「池田ファンクラブ」の様相を呈して行く。
しかし2010年以降、高齢の池田は表舞台から姿を消してしまう。それ以降、創価学会は「集団指導体制」に移行し、池田の直接指導なしでも運営できる態勢になった。
だが、それと軌を一にするように、創価学会に異変が起きる。池田を軽んじ醒めた目で創価学会を見る宗教2世3世の増加、選挙活動における集票力の低下、さらには会員の高齢化……それらが組織力の低下に拍車をかけている。
池田大作とはいったい何だったのか? そして、ポスト池田の創価学会はどうなるのか――?
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