イタリア美術叢書の各巻の各章を執筆した導き手たち、いわばイタリア美術史のウェルギリウスたちが、各時代を代表する作品群の造形を分析し、意味内容を解読する悦びを読者諸氏に伝えるべく奉仕してきた。それはいわばダンテの「煉獄篇」のような、美的にして知的な悦びという救済に向けての螺旋状の上昇運動であった。しかしながら、美術であれ文学を初めとする文化全般であれ、さらにはそれを生みだした社会や時代であれ、いささか難解で咀嚼しがたい基盤、深層構造のうえに成りたっているのもまた歴然たる事実である。そこでこの「迷宮」では、シリーズを通して語られる「美的叡智」をさらに掘り下げるべく、いささか難解な論理や複雑な事実が錯綜する暗い森のなかへと誘い、時には美術とは縁遠いようにさえ見える知の迷宮の錯綜した「綾織文様」をなす空間へと迷いこんでいただくことが目論まれている。そのなかでは、伝統的な美術史の学問的な枠組みから逸脱することもあろう。しかしながら、この知の迷宮での覚醒/浄化を経たあとに、イタリア美術史のより深いレヴェル、そしてより広範な文脈での理解という、美術とその歴史を愛するものたちにとっての救済への道筋が示されることが約束されているのである。ただし、読者諸氏が、ダンテに対するウェルギリウスの忠告、「ここではあらゆる疑いを捨てねばならぬ。あらゆる怯懦はここでは殺されねばならぬ」(原基晶訳)に忠実にしたがって、各章の導き手たちが案内する螺旋状の険しい小径を最後までたどりえたならば、という条件つきではあるが。ダンテの語るかのあまりに有名な地獄門の銘文、「あらゆる希望を捨てよ ここをくぐるおまえたちは」(原基晶訳)に倣い、読者諸氏には、ぜひすべての「思念」、思いこみ、そして先入観を捨て、知と美術と歴史のくりひろげる世界へと果敢に分け入っていただきたい。
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