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遺された手記をもとに激動の戦後中南米で資源開発に携わった父の姿を追い、
知られざる家族史・日智交流の昭和史を紡ぎだす
小・中学生時代の日常に、父の姿はない。理由は簡単だ。父が南米のチリで過ごす年月があまりにも長かったからである。父との関係性に影を投じたこの「失われた八年間」の意味を、私は問わずにはいられなくなった。
父の仕事は鉱山地質技師で、銅や鉄鋼石などの資源調査を行っていた。本書では、なぜ親子がかくも長く離れ離れに暮らさざるをえなかったのか、父はなぜ地球の反対側のチリにまで行かなくてはならなかったのか、チリとはどんなところなのか、そこで父はどのような暮らしをしていたのかを探っていく。幸いにも、父の「手記」が遺されていたので、それに基づき、「海外資源開発」とひと言で済まされてしまいがちな事象を現場目線でとらえ、異郷で働いた生身の人間の生活と心情を追うことにした。
現場は、チリ北部のアタカマ砂漠である。ここは、澄んだ青空が印象的な首都サンティアゴとは大きく違う。過酷な環境のなかでの、自然との向き合い方、動物への眼差し、先住民との付き合い、アンデス文明に寄せる父の想いなどが浮かびあがってきた。「手記」を読んで、地質学者か博物学者かと思わせる記述が多いことに気づいた。こうしたあり方の基層を求めて、父の生い立ちから鉱山地質技師になるまでを素描した。これが「第1幕」である。戦前・戦中・戦後を生き抜いた世代の、「生の経験」の意味をかみしめる物語であり、「鉱山地質技師の昭和史」とでも言える。
私自身も、憧れのチリとメキシコを訪問している。父が遺した中南米についての考察や所見を、私なりにとらえ直し、見聞したことをレポートにまとめ、これを天国にいる父宛に手紙として送るという形で私なりの中南米観を綴った。この超時空通信が、父と娘との、いわば世代間の「引き継ぎ」になるかもしれない。これが「第2幕」である。
チリにおける日本の鉱山地質技師たちの活動を追うことによって、日本とチリとの関係史を「血の通った」ものとして描き出せたとしたら幸いである。(せき・けいこ)
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