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「武蔵国横見郡和名村鈴木家文書」を読み解き、武州和名村の長吏小頭十一代甚右衛門の一生を描くことにより、近世関東の「えた」と呼ばれた人々がどのような生活を送っていたか、またそこに生きた誇り高い一人の人間像を明らかにしたい。
近世(江戸時代)は身分制の下、きびしい差別社会であった。あらゆる面で身分が重視され支配階級である武士身分においても上下の秩序(差別)は絶対的であった。とりわけ身分制の下、もっとも下位に位置づけられた「えた」「ひにん」などの被差別身分の人々に対する差別はきびしかった。しかし、被差別身分の人々が差別を我慢し、差別に呻吟していたかというとそうではなかったのではなかろうか。江戸時代は差別を当然とする社会であり、人々はそれに不満を持ち、時に抵抗しながらも受け入れざるをえなかった。しかし、その中で最も差別を認めず闘っていたのは被差別身分の人々であったのではなかろうか。
十一代甚右衛門は信仰心の厚い知識人であり、経済力もあり地域の村民からも一目おかれていた。彼は若い頃から父の小頭を助け、小頭役を息子に譲ってからも小頭の仕事をサポートし続けた。甚右衛門家は代々薬屋を営み、土地を持って農業もしていたことから経済的には比較的裕福だったと思われる。
日常的な斃牛馬の処理や行刑の仕事とともに長吏小頭としての仕事は忙しく、弾左衛門役所や村の領主、名主との関係、配下の長吏組下や非人手下との関係、さらには旦那寺との関係など日常的に連絡・調整の仕事に追われていた。一方彼は信仰心が厚く、毎日神仏への拝礼を忘れず、たびたび全国の社寺巡礼の旅にも出ていた。彼の一生を追うことにより、これまでとは違ったたくましく豊かな「長吏(えた)」と「長吏(えた)」村の生き方、生活の姿が浮き上がってくる。
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