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わずか5人の観客から10万人を集客する一大イベントへ成長した、子どもと大人が一緒に楽しめる、世界で一番手づくりなキネコ国際映画祭(毎年11月上旬に二子玉川で開催)。その波瀾に満ちた30年の歩みを、同映画祭を育て上げたフェスティバル・ディレクターが余すところなく語る。
〈キネコ国際映画祭〉でのライブ吹き替えは、私自身の心を豊かにする素晴らしい時間です。とにかく最初の一歩! 是非、二子玉川で一緒に体感してほしい。────戸田恵子(キネコ国際映画祭ジェネラル・ディレクター)
◆応援コメント:井ノ原快彦、高橋克典、中山秀征、横山だいすけ
◆特別鼎談 戸田恵子×野本弘文(キネコ国際映画祭プレジデント/東急株式会社代表取締役会長)×保坂展人(キネコ国際映画祭チェアマン/世田谷区長)
こうして三十年の歴史を振り返ってみると、映画祭をつくる大変さとともに、私という一人の人間を突き動かしてきた映画祭の魅力とすばらしさを痛感します。波瀾万丈の五十九年でしたが、とにかくここまで続けてきて、今、キネコ国際映画祭は多くの人に愛され、必要とされている。満足のいく真心籠ったすばらしい映画祭がつくれているということだけは、疑いようのない事実です。なぜここまで長い間、こんなに大変なことが頑張れたのか。もちろん映画が好きだからということもあるとは思います。ただそれ以上に、……キネコで観た映画が子どもたちの成長につながっていくと思うと嬉しいし、こんな私でも少しは社会の役に立てているのだと感じるたびに、頑張ることができたのです。(本書「あとがき」より )
たひらみつお
1965年北海道生まれ。キネコ国際映画祭フェスティバル・ディレクター。幼い頃から映画が大好きで、1983年、ハリウッドの映画監督になるべく渡米、『ニューヨーク・ヨミウリ』の企画で全米48州のバイク旅行を敢行。帰国後、人材派遣業・薪ストーブ専門店(東京ストーブ)の株式会社カイクラフトを設立。1992年、第1回〈キンダー・フィルムフェスト・ジャパン〉(後に〈キネコ国際映画祭〉に改称)を開催。以後、フェスティバル・ディレクター、プログラミング、アート・ディレクター、セールス(営業担当)すべてを一人で担っていた。2016年からは会場を二子玉川に移し、東急グループがメインスポンサーに。18年には世田谷区が共催となり、新たなチームスタッフとともに世界でも有数の「子どもたち、ティーンズ、そして街」に愛される国際映画祭を目指している。
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