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執行草舟と私が出遭ったのは、わずか3年たらず前のことにすぎない。西暦2020年11月25日、憂国忌五十周年式典の壇上においてだった。三島由紀夫・森田必勝両烈士の遺影のもとで、私は斎主として祭文を奏上し、草舟は式典を飾る気迫の雄弁を振るった。席上、祭儀に先立って、隣り合って言葉を交わしただけで、これは「ただびと」ならずと直観した。火花が散り、以後、連星のように互いにぐるぐると回りながら引き合った。
見えない中心の引力とは何だったのであろう。これを知りたいと思い、追求したのが本書である。
〔中略〕
ここから浮かびあがってきた草舟像は、どのようなものであろうか。
それは、今の世に武士道を復活させることを自己の召命(invocation)と心得る一個の英雄像である。だが、それだけなら、他に類例もあろう。異とすべきは、武士道を「不幸の哲学」と解して、痛苦を、死を、避けるのではなく、あえて身肉にアシュメーした(assumer 引き受けた)生きかたである。人生の本質と虚無の関係を、宇宙生成と暗黒物質(ダーク・マター)の関係とパラレルと見て、 否(ひ)、否、否と深坑を穿った果てに光を見ようとする探索の烈しさをフォローしていくうちに、私の脳裡には、アンドレ・マルローがド・ゴール将軍を評して言った「ノンの人」という一語が聞こえてきた。「将軍は万人にノンと言った――万人にウイというために」と。
〔中略〕
歴史世界では受け容れられず、霊性世界でなければありえない事象がある。神話と同様に。合理でなく、ヴィジョン優先でなければ見えてこない次元といったものが明らかに存する。諸宗教が依って成り立つ基盤とした、そのような「見えない世界」は、19世紀以来、進歩主義と混同された科学的史観によって迷信として斥けられたが、20世紀前半から徐々に復活を見た。そして復活を促進したものは、もはや別の宗教ではなく、別の科学だった。量子力学的世界観は非常識を導入した。20世紀後半に日本から西洋に浸透した禅は、物と心を分けない非二分性(non dichotomy)の領域を「霊性」(spirituality)として啓示することにより、西洋文明にとって革命となった。ちなみに、この語をこの意味で創始したのは、巨匠鈴木大拙である。
―――本書「太陽の聖痕 プレリュード」より
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