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そのお悩みが、もう文学賞。
恋愛、悪態、生活苦…稀代の天才たちを悩ませたアチャーな日常
太宰治、坂口安吾、夏目漱石等、赤裸々に綴られた素顔の記録20作を収めた名文集。
教科書にはたぶん載らない名作の余白――
偉大な作家たちの等身大の悩みを読めば
生きる力が湧いてくる。
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近代文学といわれて、みなさんはなにを思い浮かべるでしょうか?
きっと夏目漱石の『こころ』や太宰治の『人間失格』、宇佐見りん『推し、燃ゆ』といった小説なんじゃないかと思います。
でも、これってよくよく考えてみると不思議なことですよね。
だって、文学のなかには詩歌や童話、対話篇や戯曲(演劇)、
ときに批評・評論が入っていても全然おかしくないのに、
それをイメージするときはいつも小説のほうにひっぱられてしまいます。
なのに、というべきか。私の理解が正しいのならば、
文学のなかで小説こそもっとも入門するのに難しいと思うのです。
難しい理由はたくさんあります。まず長尺なものが多いですよね。
プルーストの『失われた時を求めて』なんて文庫本で十三巻くらいにもなる本当に馬鹿みたいな分厚さで、なんでみんなしてあれを褒めるのかといったら、
あれほど長いんだからきっとなにかの頑張りがあふれているに違いない、
なーんて読まずにテキトーかましてるんじゃないかしらん……
などと若いときはよく考えたものです。
(中略)
そんなとき、私は若い頃からちょっとした裏技、チートみたいなものを使っています。
特に文豪とも呼ばれる、歴史上に名が残る文学者の作品にハジメマシテするときには、まずその個人の全集(漱石全集とか太宰全集とかですね)の後ろのほうの巻、
なかでも「随筆」や「雑編」の巻を借りてきて、まずはここから読み始めるのです。
(中略)
雑文を繰り返し読んでいると、偉い文学先生といえど、卑近な自分たちと大して変わらない、
いや、もっと下らないようなことで悩んだり、苦しんだり、そして喜んだりしているんだなと、驚くようなおかしいような気持ちになります。
恋愛、仕事、転職、結婚、子育て、老い、死……悶々は止まりません。
文学の材料なんて、決して遠いところまで旅しなくても、たくさん眠っていたのだということに気づきます。
それは同時に、みなさんの日常に起きるどんな些細な出来事にも、のちに名作として語られる(かもしれない)文学の種があるということを意味しています。
そう考えてみると、目の前で起こるすべてのことがちょっとキラキラしてきませんか?
等身大の文豪たちはそれを教えてくれています。
(本書「はじめに」より抜粋)
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