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生命が居住する地上の薄膜=「ガイア」に向き合う重要性。
名著『虚構の「近代」』の著者が、テレストリアルとしての人類に託した最後の理論書
大気中の二酸化炭素量の持続的増加、生物種の急激な減少など、昨今の状況を見れば地球環境がかつてない激動の時代に突入したことがわかる。もはや「無尽蔵の資源」という想定の下、「豊かさ」を追い求めるこれまでのあり方は維持できない。それは誰もがわかっている。では、近代の夜明け以来続く「進歩の行進」を離脱する道はあるのか。私たちは今そうした立ち往生の状態にある。本書ではフランスの最も著名な知識人ブルーノ・ラトゥールがこの激動状況を新気候体制と定義し、その下での人類のあり方を問い直す。
ラトゥールの議論はこうだ。近代人は世界を「不活性な物質」と「エージェンシー(行為能力)を持つ人間精神」から成り立つものと捉えている。それは西欧哲学が説く存在論的違いなどではなく、単なる概念上の考え方にすぎない。これこそが認識論的呪縛として機能し、近代人のあり方を定めた。17世紀以来、近代科学の発展の中で新たな自然観――自然を人間世界の外側にある客観的真実と見なす見方??が築かれ、科学はそれを「明らかにするもの」と見なされてきた。この自然観が、主権国家を中心とする近代体制を形作ってきた。すなわち「自然」を社会の最高位の権威として君臨させ、「自然」に従えば人々の間に自ずと合意が生まれると言わせた自然観である。この考え方が政治を無用視し、近代人を盲目にさせ、「豊かさ」をひたすら追い求めるよう促してきた。実際には、近代人は本来の地球など見ておらず、客観的真実を内在化させた世界だけを見ていたにすぎない。だからこそ無制限な土地利用(収奪)が許されると思い込み、結果的に地球というテリトリー(領土)に対する全面戦争を繰り広げるに至った。今こそ、本来の地球、すなわち生命が居住する地上の薄膜「ガイア」に向き合い、テレストリアル(地上的存在)としての人類のあり方を選択すべきだ。こうラトゥールは主張し、私たちが描いてゆくべき青写真を提示する。(かわむら・くみこ 環境社会学/科学社会学)
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