入管行政の権力神話を解体する
「不法滞在者」はいかなる暴力を受けても仕方がないのだろうか。なぜ、収容者の命がけの訴えは信用されないのか。そもそも入管法違反とは悪なのか。多角的な観点から入管政策を問い直し、その特質と構造を明らかにする。入管行政によって排除された無登録移民が「社会的に生きられる」社会を実現するための嚆矢となる一冊。
「政治的に存在しなければ、国民国家という政治社会秩序のなかでは、存在していないのと同じことである」と述べたのは、みずからも移民出身の社会学者アブデルマレク・サヤドである。政治的な存在として認知されなければ、社会的な存在をも否定される、とサヤドは論じる。実際、マイノリティは発言しても顧みられることがないし、そもそも発言の場そのものが、与えられてこなかった。新聞や雑誌、テレビなどマスコミの媒体で、意見を求められ、発言の機会が与えられるのは、多くの場合、「有識者」である。誰の意見が「聞くに値する」か誰の発言に「正統性」があるか、これらの判断にあたっては、本書で議論したように、認識的不正義が作用する。その結果、公共空間で発言する機会は、平等に配分されないのである。(「おわりに」より)
◎目次
はじめに 髙谷幸・岸見太一
第1章 入管行政と無登録移民―現代日本における「人権のアポリア」 髙谷幸
収容と追放のながれ
第2章 仮放免者の生活―国家からの排除/市民社会への包摂 稲葉奈々子
第3章 収容所とは何か 髙谷幸
入管収容所の歴史
第4章 なぜ収容者の訴えは信用されないのか―感情労働現場としての収容施設における認識的不正義 岸見太一
第5章 収容所内での抵抗―ハンガーストライキ 稲葉奈々子
第6章 「剥き出しの生」への縮減に抗して―無登録移民の生の保障をめぐる人権と人道 髙谷幸
第7章 許可なく暮らすことは悪いことなのか―政治理論から入管政策を考える 岸見太一
おわりに―無登録移民が「社会的に生きられる」社会へ 稲葉奈々子
あとがき
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