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ビッグデータ時代に象徴的身体が開く新たな自己
私たちは物理的身体だけではなく、データの集合としての自己を形成する象徴的身体を持っている。現代におけるケアを考えるとき、両方の身体を視野に入れる必要があるのではないか。人間が自らの生存に配慮するセルフケアを行うとき、国家による生政治としてのケアに抵抗する別の可能性が開かれる。美術批評の世界的第一人者グロイスが、これまでの仕事の延長上で新しいケア概念を提起し、プラトン、ソクラテスからヘーゲル、ニーチェ、バタイユ、ハイデガー、アレントなど数々の哲学を独自の視点からケアの哲学として読み替える。
「セルフケアの主体が、身体に関する医療、政治、行政の議論に積極的に参加することは、医療の知識を含むケアに関する知識を、無知の立場から判断する能力を前提とする。異なった科学の緒学派が、承認、影響力、名声、権力を求めて競っている。それらは全て知識の立場から個人をケアすることを要求する。個人である主体は、選択を行うのに必要な知識を持たずに、それらの中から選ばなければならない。それは主体に弱さと当惑を感じさせる。しかし同時にこの弱さは強さでもある。なぜならば、あらゆる種類の知識は、受け入れられ実践されさえすれば、強力になるからだ。哲学の伝統はこの弱さと強さのアンビバレンスを反映する伝統として理解しうる。様々な哲学の教えは、ケアとセルフケア、依存と自律のさまざまなタイプの関係性を示唆している。」(本書より)
○目次
はじめに――ケアとセルフケア
1 ケアからセルフケアへ――プラトン、ソクラテス
2 セルフケアからケアへ――ヘーゲル
3 大いなる健康――ニーチェ
4 ケアテイカーとしての賢人――コジェーヴ
5 至高の動物――バタイユ
6 汚染する聖なるもの――カイヨワ
7 ケアテイカーとしての人民――ドゥボール
8 誰が人民なのか?―― ワーグナー
9 現存在であることとしてのケア――ハイデガー
10 掃除婦の眼差しのもとで――フョードロフ
11 仕事と労働――アレント
12 革命のケア――ボグダーノフ
訳者解題
人名索引
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