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高知龍馬空港の横にある田村遺跡には弥生前期の遺構がある。この大集落の人達は、どこからやってきたのだろう。弥生中期の銅鐸や銅矛の文化圏は、四国中央部を中心に東西に広がっているようだ。江戸時代の日本人は、呉の太伯の末裔であることを誇りにしていたが春秋最後の呉王である夫差の末裔が辿り着いた地が土左國だったのかもしれない。飛鳥時代に絶大な権力を持っていた蘇我氏は、大化の改新によって本宗家が滅亡しているが、後の世で四国統一を果たした長宗我部元親には、多くの謎が残されていた。その名に隠された、ソガの音。長と部には、本家と一族の意味がある。自らを秦氏と名乗っていた意味と、四国北側に拘った理由。全ては、海洋貿易の担い手の歴史に繋がっているのかもしれない。土佐神社のある地域には、雄略天皇と同様の勢力をもつ葛城の一言主がいた。弥生時代から江戸時代にかけての高知県の謎に、中國紀行CKRM的視点で迫っていこう。
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