埋もれていた、もう一つの「うひ山ぶみ」。
知られざる近世の和学手引き書『和学知辺草(わがくしるべぐさ)』、初の翻刻・注釈・現代語訳!
漢学では徂徠学が急速な衰えを見せ、朱子学が盛り返し、異学の禁が発令され、国学では真淵の学風を受け継いだ宣長の学問が完成期を迎えていた、寛政年間(一七八九〓一八〇一)。
和学の手引き書が、佐賀の地で作られていた。
著者は「幽林舎散人」。寛政三年秋に官職を解かれ、該書成立の時はすでに六十歳を迎えようとしていことが、自叙から知られるのみ。該博な学識を満載した本著作から、ひとかどの知識人と推察されるが、年代を考えると、おそらく鍋島直嵩(一七五三~八三)の主導する歌壇および文芸サロンに身を置いた人物であろう。
果たして江戸や松坂の新知識はどう伝えられていたのか。
近世思想史、文学史を知るための必読の書。
執筆は、中尾友香梨、白石良夫、進藤康子、大久保順子、亀井 森、土屋育子、中尾健一郎、沼尻利通、日高愛子、村上義明、二宮愛理、脇山真衣、(翻字)三ツ松誠、田中圭子、中山成一。
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