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ヒエロニムス・ボスの四つの三連画──婚礼を言祝ぐ《快楽の園》に、浄罪の苦しみの《快楽の園》に、化生のものたちが招く《聖アントニウスの誘惑》に、地獄へと堕ちる魂の《最後の審判》に、贖罪と救済の《干草車》──は、いずれ劣らぬ傑作として時代や地域を問わず人びとを惹きつけてきた。左翼パネルにはエデンの園、右翼パネルには地獄、これらの場面にはいずれも魔物たちが多数描かれ、「悪魔の創造主」としてのボスの名を体現するものであるが、それぞれの作品のもつ──とくに中央パネルに描かれた──世界観や役割は少しずつ異なっている。
《快楽の園》の中央パネルを埋めつくす裸体の男女は、あまりにも屈託のないその様子から、本当に肉欲の罪を戒めるために描かれたのか、という素朴な疑問は誰しももつであろう。左翼パネルに描かれた人類最初のカップルの隣には「黄金時代」を思わせる楽園が広がっている。しかしボスは楽園風景で終わらせない。右翼パネルに描かれた音楽地獄はいずれアダムとエヴァが犯す罪を暗示するかのように対置され、懲罰を受ける魂たちの中央で樹木人間が青白い顔を観者に向ける。子孫繁栄と肉欲の罪は紙一重であるが、それもまた神の御心のままであるかのように『詩篇』の言葉「主が仰せになると、そのように成り/主が命じられると、そのように立つ」が外翼パネルの閉扉時に表わされる。
エデンを左翼にもつほかの二つの三連画、すなわちウィーンの《最後の審判》と《干草車》では、異時同図法によって『創世記』の原罪から楽園追放までの物語が示されており、天国というよりも人間の罪への言及ととらえられ、罪の戒めという性質をみいだすことができる。
同じくエデンを左パネルにもつ《干草車》は、開扉時全面に人の罪とかかわる場面が広がっている。まさしく原罪そのもののエデンの楽園では、天空に堕天使の墜落が描かれ、神に反逆した天使たちが天から落ちて魔物となっていく様子は、地上での出来事の布石となっている。楽園を追われたアダムとエヴァが向かう中央パネルは現世の罪と結びつき、神の諫めを顧みない人びとが大量になだれこむ地獄は、拡大すべく魔物たちによって増築されている。《干草車》はまるですべての人びとが地獄に導かれていくかのように見えるものの、《快楽の園》と異なり、地獄でさいなまれる人びとの姿はわずかである。そして救済への道は閉扉時に神の似姿の「放浪者」として残されているのである。
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