1~2日で出荷、新刊の場合、発売日以降のお届けになります
沖縄戦で沖縄女子師範、沖縄第一高等女学校の生徒が「ひめゆり学徒隊」として戦場で多くの生徒が犠牲となった。
そんな「ひめゆりたち」が戦後に詠んだ多くの歌を通して、ひめゆりたちの戦争、沖縄戦について記述されている。
たくさんの歌の中から本書では合同歌集『黄金森』に掲載された歌をとりあげた。
思い出の校門前の相思樹並木を詠んだ歌、そして亡くなった友への歌も数多くある。
「あとがき」
『黄金森』には登場ーしないが、その他の年刊合同歌集シリーズで数多くの歌を発表してきたひめゆり学園出身者のひとりに新崎タヲがいる。これまでとりあげてこなかったのは、彼女の歌に、ひめゆりを詠んだ歌がないということによるのではなかった。
乙女らの青春なく逝きしあわれさに詫びつつ祈る永久の平和を
シリーズ12『鈴鳴』(一九八八年一二月二一日)に発表された一首で、明らかにひめゆりを詠んだと思われるものである。それは、新崎が、沖縄県立高等女学校の卒業生であるということによる。
新崎は、一九一一年(明治四四)生まれ。昭和二年沖縄県立高等女学校卒業。沖縄戦終結50年記念号『黄金花』(一九九五年九月一日)第二巻第三号には、
童顔のひめゆりの学徒のうつしゑに心情思へば涙の滲む
というのがあった。
新崎には歌集もある。それだけによく知られた作歌者の一人だといっていい。ひめゆり学園出身者ということでいえば、真っ先にとりあげるべきであったという思いがないわけではない。
そうしなかった理由は『黄金森』に作品がなかったということであった。もしその枠を取り外して見ていくということになると、新崎だけにはとどまらないということによる。ひめゆり学園出身者の作歌者は、数多くいるのである。
そこで、『黄金森』という枠を設けて見ていくことにしたのである。その枠内だけでも、数多くの作歌者がいた。その範囲だけでも、精一杯であったということで、新崎をはじめ他の作歌者たちについては、断念せざるをえなかった。
ひめゆりというと、ひめゆり学徒隊やひめゆりの塔がすぐに思い浮かんでくる。取り上げた歌のほとんども、ひめゆりたちの戦争とかかわるものが中心になっている。歌を取り上げながら、歌そのものについて述べる以上に、歌の出所というか、歌と関わりのある証言を引いてきたのは、ひめゆりたちの戦争、ひいては沖縄戦を浮かびあげたかったためである。
新崎が詠んでいるように、ひめゆりたちのひめゆり詠歌が、何を祈って詠まれたかはっきりしている。それがどれだけうまく伝えられたか心許ないが、歌がより切実に感じられるものになっていて欲しいと思う。
二〇二二年七月
よく利用するジャンルを設定できます。
「+」ボタンからジャンル(検索条件)を絞って検索してください。
表示の並び替えができます。