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今日の日韓関係、朝鮮半島問題を考える人々に贈る。
朝鮮の歴史家で大韓民国臨時政府の第2代大統領であり作家でもあった朴殷植(1859~1925)が、後世に伝えたかった安重根(1879~1910)の歴史。伊藤博文を撃った、暗殺者“安重根”。その、人となりや独立精神、平和主義を記した安重根傳を、現代日本人に読みやすく原文から新たに翻訳した一冊。
■後付け解説文 『安重根と千葉十七』
「玄海(界)灘に「見えない橋」が架けられていた! 安重根と千葉十七の心の〝交流〟が築いた今日的意義を問う」より抜粋
韓国ではもちろんのこと、日本でさえも安重根(アンジュングン:日本では従来「あん・じゅうこん」と呼ばれてきた)のほうが千葉十七(とひち)よりもずっと知られている。安重根というと、彼に暗殺された伊藤博文がいつもセットでイメージされることが多いようだ。ここで述べる千葉十七と安重根の関係は、馴染まない違和感があるのだろうか。それはどうしてなのか――。
それは、「歴史」はつねに書かれたものによってつくられ、それを通じて人びとはイメージするからではなかろうか。
「安重根と伊藤博文」の組み合せが自然なのは、一九〇九年十月二十六日、安重根が伊藤博文をハルビン駅頭で狙撃暗殺した事件が、日本・朝鮮はもとより、世界を震撼させるほどのビッグニュースであったし、それだけに後世に広く伝えられてきたからであろう。
日本において、安重根というと暗殺事件に象徴されるように、その行動に関心がいきがちであるが、むしろ彼が教育事業を行った事実や、獄中で書いた「東洋平和論」や遺墨に見られるその思想性に注目すべきだろう。安重根が韓国では、志操をもつ義士として呼ばれるゆえんである。
彼はまた、「本来文明とは東西の賢人、男女、老人、少年を論ずることなく、すべての者が天賦の性(格)を守って道徳を尊び、互いに争いのない心をもって生活し、ともに泰平を享受することである」と述べているが、これは痛烈な反帝国主義かつ反侵略主義的な平和思想である。
平和思想の持ち主がまたどうして暗殺劇へと走ったのか、という疑問もあろうが、それは朝鮮民族を奮い立たせるための切羽詰まった最後的手段であった。
千葉十七は、(旅順監獄署の看守として死刑執行されるまで)三か月にわたって安重根を監視するなかで、安の思想、人柄、性格など全体を知るようになる。
ついには安に心服するようになる。
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