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鷹女の作風の変遷の三転について触れておこう。第一句集『向日葵』(昭15)時代における、いわゆる「冒険的な句作」。すなわち、鋭敏な感性と想像力を存分に発揮した斬新・奔放な作風。第三句集『白骨』(昭27)の前半(昭15〓昭23ごろ)における愛息への独占的な母情俳句。『白骨』後半から『羊歯地獄』(昭36)へといわゆる「鱗の〓脱」という自虐的な営為によって孤心・老い・死の意識を激しく掘り下げていった作風。
この作風の変遷において一貫するものは、「冒険的なる句作」時代に開眼した「俳句で詠むべきものは外部ではなく、自己の内部である」という俳句観に立脚して、自己の鋭敏な感性を信じ、他者と安易に同調しない強い自恃をもって自己の内部の様々な意識や情念を掘り下げ、表出していったことである。
鷹女の句には素材として動植物が頻出する。しかし、それらは「ホトトギス」の花鳥諷詠句や、吟行などで外面的に動植物を詠む嘱目吟などとは全く異なる。鷹女にとっての動植物は一貫して鷹女の分身ないしメタファーである。
三橋鷹女は孤高の作風を築いた孤高の俳人である。だが、偏屈で、偏狭な朴念仁ではない。強い自恃を抱きながらも、気のおけない交流ができる人であった。昭和二十三年の秋ごろから晩年にかけて、「ゆさはり句会」の会員たちとの句会や宿泊を伴う吟行での気さくな交流は、『羊歯地獄』における「鱗の〓脱」による疲労と孤心を癒し、新たな創作のエネルギーの蓄積になったであろう。
また、夫剣三に関して鷹女が書いたエッセー類は、鷹女がユーモアや諧謔を解し、それを
好む人となりであることを、よく物語っている。――「本文より引用」
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