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カミュ『異邦人』から80年――ついに日本人のムルソーが現れた!異文化、異歴史、異言語、異国人、異性との交わりから湧出するニヒリズムへの指向と倦怠、そして絶望という貌の希望。
この本は、小説集としては珍しく横組み(横書き)である。それは、あえて違和感を意匠全体から発出させようと意図したためである。ほんとうは、続編のほうは舞台が日本なので、こちらは縦組み(縦書き)にして、本の表裏のどちらからも読める、いわばどちらも表紙になるようにしたかったくらいなのだが、日本の本の決まり事からそれは叶わなかった。
言うまでもなく、文字の構造上、日本語は漢字も仮名も縦書きに馴染むようになっている。文字は言葉であり、言葉は概念であるのだから、通常の縦書きの日本語で、ある物語を読むということは、知らず知らずのうちに「日本」からは抜け出せない、すなわち読む行為が否応なしに「日本」にどっぷりと取り込まれていることにもなってしまう。つまりは、「日本」の様式、風景、感性、慣習、しきたり、空気など「日本の当たり前」にである。
この物語は、「異国」を背景に、登場人物もほとんど「外国人」(もちろん日本から見てであり、あちらから見れば「異国」は日本であり、「外国人」は日本人そのものでもある)である。それは、無意識に固定化されている「日本」のその空気、「日本」の当たり前そのものを根底から揺り動かしたい、ぐらつかせたい、不安に陥れたいという著者の、この物語創生のモチーフが根底にあるからである。故に、体裁も必然的に日本語になじまない横書きになったわけである。
太陽が眩しくて殺人を犯し、実母の死んだ日に情事に励む、その不条理性で死刑を宣告された「異邦人」ムルソー。果たして、同じような道を辿る「日本人のムルソー」の不条理性の根っこには、何が存在しているのか。
装画・装丁も、この物語にふさわしく、ひと目見て、ざわつかせ、かき乱され、居心地を悪くされて、まるで己の否定された正体を見ているかのように眉をしかめるであろう。
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