第2次大戦終戦のわずか2日前の昭和20年(1945)8月13日、米軍艦載機による長野を狙った空爆が実施されました。いわゆる「長野空襲」です。早朝から数回に及ぶ爆撃では、主に長野市内の飛行場と飛行機、国鉄長野駅やその施設、市街地などが主な標的となりました。病院や民家も巻き添えとなり、犠牲者も出ました。
空襲については、当時を知る市民の証言によって死者や負傷者の数、だいたいの攻撃の時刻や場所が分かっていただけでした。攻撃の規模や意図など、詳しいことは分かっていませんでしたが、平成15年(2003)に県内の研究者が米国の国立公文書館などで、米軍機が上空から撮影した写真や、爆撃の推移を克明に記録した報告書を発見。その内容を解明することで、飛来した米軍機は70機、それまで「5回」と認識されていた攻撃が実際は「7回」だったことなどが判明しました。
本書では、同報告書を翻訳して内容を詳細に読み解く一方、従来からの市民証言との照合を、約20年がかりで敢行。攻撃の規模や意図、被害の全容を初めて白日の下にさらします。さらに、昭和初期に活躍した反戦のジャーナリストで、信濃毎日新聞の主筆として論説「関東大防空演習を嗤う」を書いた桐生悠々を空襲批判の“立脚点”と位置づけ、その精神と長野空襲、現代を結んで「平和」を考えます。
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