本書は明治中期に国を二分した論争の重要研究であり、アメリカ人研究者が弱冠33歳で書き上げたものである。以来本作は日米で50年にわたり断続的に読み継がれてきた。その名著をここに改めて刊行する。
近代世界において日本人であるということは、一体何を意味していたのだろうか? 近代国家建設のため西洋文明を急激に吸収する一方で、日本人の自己像は大きく揺らいでいた。それは、明治の初代指導層から見て新世代にあたる青年を中心に「欧化か国粋か」の激論を巻き起こす。日本の完全な欧化を主張したのは徳富蘇峰らの民友社であり、日本の国粋保存を訴えたのは志賀重昂、三宅雪嶺らの政教社であった。国民的な関心を集めたかれらの真摯な激論は、後発的発展社会にとって宿命的なアポリアを解消する可能性を秘めていたのだが――
「日本にとって悲劇であったのは、この健康なナショナリズムが、その後、愚かしく有害なナショナリズムの形態に圧倒されてしまったことである」(「日本語版への序文」より)。
かれらを飲み込んだ国家主義は何をもたらしたのか。本書が克明に描く明治新世代の苦悩に、現代の我々は何を読みとり、何を思うだろう。問いは読者に開かれている。
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