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総動員令が発令されても、「帝国臣民」は息をひそめ、ただ受け入れたわけではない。統制が厳しくなるにつれ、大衆は無遠慮、不謹慎、価値倒錯的な行動さえとるようになり、メディアもそれを煽ったのだ。日中戦争の従軍記者は、戦場での「百人斬り競争」をこぞって報じ、銃後はその記事に飛びついて、文字通り「消費」した。「スリル」という日本語も、この頃生まれた。
20世紀初頭のロシアの文学理論家バフチンは、このような状況を「カーニバル」と呼んだ。社会の通常のルールが一時的に適用されなくなり、既存の階層構造が壊されて平準化する、過渡的な瞬間のことだ。そこでは強者が貶められ、弱者や一癖ある者がコミュニティの「カーニバル王」に祭りあげられる。こうして「カーニバル戦争」は「大衆に、鬱積した不満を吐き出すセラピー効果のある通気口を提供」した。
その象徴的な存在として本書が取り上げるのは、①「スリル・ハンター」になった従軍記者、②高給取りの軍需工場の職工、③兵隊(帰還した傷病兵を含む)、④映画スター(総力戦のチアリーダーも務めた)、⑤少年航空兵(戦争末期には特攻隊員に)。
著者は日本の近現代史を専門とする、アメリカの気鋭の歴史学者。当時の新聞雑誌からの膨大な量の引用(軍国少年の投書や柳屋ポマードの広告まで)を土台とした、「消費者=臣民」の具体的な洞察に、読者は引き込まれるだろう。
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