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1965年8月6日午前8時16分00秒…
本書は、原爆で被災し生き延びた中村家一家十人のサバイバルとその後の双子姉妹の人生を追った。
彼らはいかにして生き延びたのか?
1945年3月30日、広島県三篠町に暮らす中村家に双子の姉妹が誕生した。この双子の名前は「博子」と「愛子」。二人合わせて「博愛」であり、中村家の人々の平和への願いが込められていた。それからほぼ4ヵ月後、広島に世界初の原爆が投下された。爆心地に住む中村家の家屋は倒壊し、やがて猛火が迫ってきた。
(筆者あとがきより抜粋)
本書は原爆投下時広島市内に住む中村家の家族十人全員が生存した奇跡的なストーリーである。地元の中国新聞でも何度か取り上げられた。
双子の一人中村博子は、一九六七年パンアメリカン航空の第二期日本人スチュワーデスとして入社した時の同期生だった。
「私は広島の被爆者で、被爆手帳を持っているのよ」
ぽかんとしている私に「双子の赤ん坊の一人で、生き埋めになっていて死んだと思っていたら、母親が着物のすそに水をかけ顔をふいたとたん、瞬きをしたんだって」と続けた。
若く健康そのものだった彼女が被爆者だったということは、まったく想像できなかった。
これから憧れの世界航路を飛ぶという時に、原爆投下の話には触れたくなかった。
二〇一六年にアメリカの現職大統領として初めて、オバマ大統領が広島を訪間して以来、外国人観光客が急増した。数年前、三週間案内した米国人四人の旅行先で、絶対外せない場所が広島平和記念資料館だった。原爆ドームの前にくると、彼らの一人が急にかしこまって、ガイドの私に腕を組んできた。
「日米で一緒に写真を撮りましょう。二度とこの悲劇をくりかえさないために!」
私の腕を握りしめた彼女の手の強さと、厳粛な面持ちが印象的だった。 そしてここを訪れるたびに思い出したのは、がれきの中から奇跡的に救出された双子の赤ん坊のこと。家族十人全員が生存した奇跡的なストーリーには、年を追うごとにますます感動を覚える。
コロナ禍、ロシアによるウクライナ侵攻と暗い世相が続いていて、地球のどこかで戦争が勃発するたびに核兵器の使用が心配されている。
人類初の原爆の被害を受けた広島と長崎の犠牲者の償いになる唯一のことは、核兵器ゼロの世界の実現だ。それは双子の姉妹、博子と愛子の「世界はーつなのよ」という核兵器廃絶、そして平和へのメッセージでもある。
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