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加賀一二〇万石の中心地として、また畿内北部の一大商工業都市として
栄えた町の歴史と現在を総合的に探求。訪問事業所約100件
富山県高岡は、加賀藩第二の都市として1609(慶長一四)年に開町するものの、1616年の幕府の「一国一城令」により高岡城が廃城となり、その後は商工業都市として歩んできた。コメ、綿糸・綿布市場と鋳物(鉄・銅)、漆器といった伝統工芸品の発達により、幕末には「北陸の大坂」といわれるほどの発展を示した。1889(明治二二)年に市制・町村制が敷かれた際は、その第一次市制全国31市の一つとして高岡市が誕生している。
大正時代に始まる日本の産業革命期には、安価な水力発電を最大の武器として重化学工業化を進め、本州の日本海側最大の近代工業都市を形成した。この期間には、特に伝統の鋳物等の工芸品に加え、アルミ産業が顕著な発展を見せた。
その後は現代に至るまで、これら豊かな工業展開を通じて就業機会が増え、「富山が日本で一番豊か」といわれるほどになっていった。人びとは出稼ぎに出る必要がなく、副業のつもりの会社勤めが本業化し、むしろ農業が副業化していく。地元に優良な勤め先が多く、共稼ぎや女性の就業が他地域に先んじて拡がり、「富山の豊かさ」の基礎となっていく。
だが、1990年前後のバブル経済崩壊以降、主力のアルミ建材の市場が縮小し、生活様式の変化に伴い伝統工芸品も縮小を余儀なくされ、次の「豊かさ」に向けた産業発展の契機をいまだ十分には見出せないでいる。
本書では、このように特徴ある産業発展を示した高岡について、歴史分析的視野をベースに、個々の産業・企業および農業者の動きを追い、農工業全体の問題の構造を明らかにし、新たな発展のための道筋を展望する。人口減少、少子高齢化、既存産業の停滞に悩む全国の地方都市にとって、高岡の歩みは一つの象徴的な事例であり、今後の発展の指針を探る上で示唆の多いモデルともなるだろう。(せき・みつひろ)
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