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上方でも江戸でもない加賀地方の化政文化は、どのようであったのであろう。ここに、堀越左源次(1824年没、64歳)という狂歌作者がいた。本業をつとめるかたわら、〈謡〉〈茶の湯〉〈食〉の三道楽を嗜み、楽しみ、そうした生活の中で多くの狂歌を詠じ、「阿北斎」(あほくさい)と名乗った。別に「陀楽斎」(だらくさい)などとも名乗っている。「阿北斎」は「青臭い」さらには「阿呆くさい」の意で名乗ったのであろうし、加賀では「馬鹿」のことを「だら」といい、「堕落」も掛けて「陀楽斎」と名乗ったのであろう。また、歌集を『邪々無邪集』と題しているが、「邪々無邪」は加賀方言で「だいなしなもの」を意味する。この『邪々無邪集』は刊行されていないが、多くの写本が存在する。左源次の狂歌は、風や皮肉を詠んだものもあるが、もじりと掛詞を詠みこむ知的楽しみと滑稽味あふれ、多くは人間関係を円滑にするためのコミュニケーションとして詠まれている。約150首の狂歌を紹介。そこに、左源次の狂歌を受け入れた、当時の人たちの嗜好の一端が垣間見える。また、狂歌の「笑い」から、「笑い」に不寛容になりつつある現代が浮き彫りになってくる。
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