人生は、はーえーごんごん 仲宗根澄〈明治・大正・昭和・平成〉百年の道程

人生は、はーえーごんごん 仲宗根澄〈明治・大正・昭和・平成〉百年の道程

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出版社
ボーダーインク
著者名
大城道子 , 和宇慶光子 , 沖縄市女性史サークル
価格
1,980円(本体1,800円+税)
発行年月
2022年5月
判型
A5
ISBN
9784899824268

「第一部 人生は、はーえーごんごん」では百年の人生を「はーえーごんごん」して生き抜いた沖縄女性のライフヒストリー(「はーえーごんごん」とは「一生懸命に走りに走る様子」)と第二部では家族からみた仲宗根澄を孫が綴る。第三部論考では「〈研究ノート〉はじめての日本復帰を陳情した女性集団」を収録。

明治に沖縄島北部に生まれた貧しい士族の娘・仲宗根澄は、女子師範学校(ひめゆり学園)を卒業し教師の道を歩みはじめる。相思相愛の夫を二十代で失い、沖縄戦 中は大家族でやんばるを逃避行。戦後は収容所から教師生活とともに婦人会や福祉などの社会活動に貢献。 彼女を支え続けたのは「士族」の末裔とひめゆり同窓会の一員という矜恃であった。

はじめに       
 かつて、仲宗根澄先生といえば、中部地区で知らない人はいなかった。特に沖縄市(旧コザ市)で話題が福祉分野に及ぶと「三大マドンナ」として必ずお名前が登場する一人が仲宗根澄だった。ちなみに、澄とともにマドンナと称されたのは「福祉の母」と慕われた島マス、女性で初めて本土で沖縄の日本復帰を訴えた一人と伝わっている瑞慶覧ツル(つる)である。もう、どなたも鬼籍に入られて久しい時間がたつのだが、生きておられたなら百歳を優に超える大先輩である。
 澄たちが自他共にマドンナと豪語してはばからなかったのは福祉分野で活躍する七十代に入ってからで、世間で言うところの高齢になってからだから正確には「老人クラブのマドンナ」ということになるだろうか。実際にマドンナに名を借りた愛すべきお茶目な行動にも事欠かないエピソードをご本人からもお聞きしたのだが、ここでは割愛する。これらの出来事から、澄やその世代のユーモア溢れる大らかな気性がしのばれた。
(中略)
あらためて澄の業績を振り返ってみると、大きく教育、女性問題、福祉の三分野に分類することができるだろう。
 教育の分野では、すでに戦中に米軍が設置していた石川収容所での青空教室から、城前初等学校、青年実業学校、コザ高等学校勤務など戦後の混乱した時期の児童生徒を世話し教導したこと。また女性問題分野では、戦後混乱期に早急に婦人会を組織し衣食住不足を乗り切る手段をこうじた一員であったこと、米軍占領下で沖縄女性の地位向上に努めた女性たちの一人であったことが挙げられる。福祉分野での活動は、地域の先輩として交流の続いていた島マスなどとの新たな協働として、復帰前の一九六八年から始められている。
 「お話を聞かせて下さい」という私たちに、先生は「仕事が好きで〝はーえーごんごん〟して教員生活に追われてきたようなもので、何も良い話はないですよ」と微笑された。
(後略)

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