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小栗上野介は、安政7年に日米修好通商条約批准のために米国に派遣された遣米使節団の一員としてアメリカへ渡り、ワシントンで所定の儀式を行った後、海軍造船所や造幣局での操業の様子を視察しました。また帰国時は大西洋とインド洋を経由しています。一方帰国後には外国奉行や勘定奉行・海軍奉行などを歴任しました。彼は日本において艦船を建造することの必要性を説き、後に横須賀造船所の建設に主体的にかかわります。しかし幕末時に新政府軍の討伐を主張した彼は、江戸城明け渡しを主張した勝海舟に敗れ、そのため幕閣の座を追われ、彼は自領の上州権田村へ疎開して隠棲するのであります。しかし彼が幕閣時代に新政府軍の討伐を主張したことを恨みとして、中山道を進んで来た新政府軍に捉えられて斬首されるのであります。当時はこのような遺恨による殺傷が正当化されましたが、現代の我々から観れば、それはあり得ない事態と言えるのであります。
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