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「ブラック部活」はなぜ生まれるのか?
「若者とスポーツと日本社会」の関連性を深く読み解く社会学の野心的試み。
令和の時代がはじまり、平成もいずれは遠い過去となっていくことだろう。とはいえ、それ以前、つまり昭和の時代から、私たちはさまざまなものを引き継いでいるように思える。いまや「ブラック〇〇」と呼ばれるようになった昭和的な体質と、本書で扱う運動部活動に代表される「体育会系」なるものは、非常に近しいものとして理解されてきたのかもしれない。
しかし、「体育会系」という言葉で想起されがちな厳しい秩序や規範は、スポーツがもつ根源的な自由さを排除するものではない。「規律」と「自主性」という、一見相反するものが同居しながら「妖しい魅力」を放ってきたところに、運動部活動の対象としての面白さと謎がある。
本書は、その「妖しい魅力」を解き明かすために、指導者の言説と生徒の実践という二つの側面からアプローチしている。第1部では、運動部活動の指導者の自伝や評伝などを題材に、「規律」と「自主性」がどのように関わり合いながら語られているのかを検証する。第2部では、とある高校の陸上競技部を舞台に、「伝統」という名の「規律」に向き合いつつ「自主性」を発揮しようとする生徒たちの実践を描いている。
運動部活動は、スポーツがもつ「自由さ」をある意味で巧みに用いながら、私たちに秩序や規範を教え込む権力装置として日本社会に埋め込まれてきた。生徒の個性や意見が尊重されるようになった現在の学校教育において、運動部活動は「規律」を課すことのできる特権的な領域であるといっても過言ではないだろう。しかし、それを許したのは歴史の偶然であって、これからもそうあり続ける必然性はどこにもない。
本書に登場する指導者や生徒の言葉に耳を傾けながら、自らの経験や現在の活動を問い直すきっかけにしていただければ幸いである。(しもたけ・りょうじ)
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