奄美・喜界島の沖縄戦

奄美・喜界島の沖縄戦

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出版社
高文研
著者名
大倉忠夫
価格
3,300円(本体3,000円+税)
発行年月
2021年11月
判型
四六判
ISBN
9784874987728

本書の著者は、1931(昭和6)年の東京生まれで、太平洋戦争開戦の2年前の39年に両親の故郷・喜界島に移住します。
敗戦の年(45年)の3月から、喜界島は米軍による猛烈な空爆にさらされます。
当時、日本陸海軍は米軍の北上を沖縄で阻止するため、沖縄特攻作戦を実施しており、喜界島には九州各地から飛び立って沖縄に向かう日本軍機の「中継基地」が置かれたため、様々な陸海軍の特攻機が喜界島光吉を経由して沖縄に飛び立ちました。

米軍は喜界島航空基地(飛行場)を使用不能にするため、空爆作戦を繰り返し実施しました。
米軍の空爆は日本軍の施設だけでなく、民家も攻撃対象とされ、飛行場周辺の集落は壊滅状態となりました。
当時、国民学校高等科を卒業したばかりの著者は、家族と共に集落を捨て、ムヤ(喪屋)と呼ぶ風葬跡の残る横穴壕で暮らすことになりました。戦況が逼迫し、米軍の喜界島上陸を想定して島の内陸部の台地に数多くの横穴壕を掘り、そこに1万7000人の島民を避難させ、命令に従わぬものは銃殺だと威嚇しました。結局、予想された米軍上陸はなく、避難命令は解除されて、ムヤでの生活に戻りますが、沖縄戦が終息に向かう中で米軍機の来襲も散発的になりましたが、B29重爆撃機9機による爆撃など甚大な被害は続きました。

本書は、戦後、弁護士となった著者が、喜界島での戦争体験とは何だったのか──歴史書・戦記を渉猟し、特に斬首される直前の米軍捕虜を目撃した記憶が頭から離れないことから、この斬首事件の関係者を裁いた戦犯裁判資料を米国から取り寄せて克明に調べ上げました。

本書の特徴は2つあります。
“海の戦場”となった沖縄特攻作戦の解明と喜界島米軍捕虜斬首事件の真相追求です。
いずれも類書が少ない、貴重な記録となっています。

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