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東洲斎写楽は寛政六年に145枚もの作品を発表し、忽然として姿を消した。その出自や本名などは謎に包まれており、これまでも葛飾北斎説、徳島藩の能役者説など、さまざまな考証が行われている。
だが、大切なのは、蔦屋重三郎の育てた歌麿と写楽の二人はどのように絡み合って画業を確立していったのか?ということである。そのために、写楽の全145作品を寛政六年に行われた歌舞伎狂言や相撲興行との関係から分析、写楽登場の社会的、文化史的背景をあぶり出す。そこには、若い日の北斎と将軍お抱え絵師の細田栄之に、名古屋の永楽屋、馬喰町の西村屋の版元としての力量がかかわっている。
現在、写楽を阿波徳島藩主・蜂須賀家お抱えの能役者斎藤十郎兵衛とする説が有力ですが、それは写楽を上層階級に位置づけたい人々の願望のあらわれです。江戸文化は庶民がヘゲモニーを掌握した庶民による庶民の文化でした。
写楽全作品145点を口絵カラーに掲載。
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