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ヨーロッパ文学における「水の女」の系譜は,大小さまざまな流れから成り立つ。但し,その本流は,古代ギリシア神話を水源とし,キリスト教のもとで形を変えながら,中世やルネサンス期の民間伝承や民衆本を経て,近代ドイツのメールヒェンにて川幅を広げ,更にデンマークへと至り,世界文学という海原に流れ出る。
こうした流れの中でドイツ文学の役割は大きい。セイレンの後裔たちは,明るい海原ではなく,奥深い森の湖沼に現れるようになると,文学において頻出する「他者」となり,同時に内面化された「他者」となる。つまり,「水の女」の系譜は,ドイツ文学において,「外なる異界」や「未知なる他者」のみならず,「内なる異界」や「未知なる自己」をも取り込みながら,「水の深さ」が「心の深さ」となる現代的な「他者」経験を問題にしていく。
ヨーロッパ文学に頻出する「水の女」は,人間の魂を求める「物質存在」であり,「陸の男」を水底へと誘う「女性存在」であり,新しいポエジー言語を導く「言語存在」である。その意味で,件の「他者」は,人間と物質が,男性と女性が,言語と言語ならざるものが出会う場所において繰り返される常套句であり,濃密な文学空間を培うトポスと言えよう。
本書は,「水の女」の誘惑手段に身体論的に着眼しながら,同系譜を神話的始原から黙示録的終末まで追う「オデュッセイア」である。我々は「長い船路」にて水底へと誘われてしまうかもしれない。トポスとしての「水の女の物語」は,新しい男女のあり方,新しい言葉,「どこにもない場所」,つまり「ウ・トポス」の模索を既存の世界にいる我々に促す。文学は「ユートピア」である。航海には常に危険が伴う。
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