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本書は、『蜻蛉日記』の作者道綱母が「兼家妻」として「書く」自意識に着眼し、その意味について一貫して論じてきた著者の第二論文集である。
本書は、作者が「書く」ことの背景には「書かせる」存在(兼家)があり、それが表裏一体となっていることを指摘する。著者は『蜻蛉日記』について、藤原兼家と結婚した道綱母の人生における内的葛藤が綴られたものというこれまでの解釈に対して、作者道綱母が「書く」作品を世の読者に示すことは、夫兼家の政治文化世界に寄与することにつながる。これを自覚的におこなっていたのだと読み解くのである。著者は数ある史資料の渉猟から、作品内にみえる特有の表現を丹念に拾いあげ、当時の文化世界の様相と作者の内面の双方を見据えて、如上の主張を展開する。
『蜻蛉日記』研究は、個としての道綱母の内面に注目が集まりがちで、作者道綱母の社会的存在についての言及はさほど積極的には行なわれてこなかった感がある。しかし、著者は『蜻蛉日記』を『とよかげ』『多武峰少将物語』等を輩出した当時の「文化面での九条流の優越を後宮や貴族社会に宣揚すること」(本書「まとめ」237頁)を意図したものだと位置づける。この点はもっとも力点が置かれたところであり、研究史上に新たな息吹をもたらす考察であろう。
兼家の「書かせる」意志は、道長(『源氏物語』)へ、頼通(『更級日記』『四条宮下野集』等)へと受け継がれ、九条流摂関の豊饒な文化世界を現出させた。その大きな画期として『蜻蛉日記』があったことを、本書は全編で語っている。
表題の「新考」にふさわしい、新鮮斬新な論集が刊行された。
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