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こんなにスケールの大きな日本人がいた!
剣道を通して日米の架け橋とならんとした森寅雄の生涯を描く
実業家としても活躍し、流暢に英語を使いこなし、車やバイクを乗り回した寅雄は、強烈なバイタリティと鋭い国際感覚を持った、戦前の日本人としては珍しい人物だった
〓伯父である講談社創業者野間清治に育てられ剣道の才能も開花、「昭和の武蔵」といわれた天才剣士に
〓昭和9年の天覧武道大会予選で無敵の寅雄が従兄野間恒に完敗した この試合にまつわる謎とは?
〓昭和12年渡米、剣道普及に尽力。カリフォルニアでフェンシングをマスターし、あっという間にチャンピオンになる
〓戦時中は故郷の群馬県桐生に疎開 戦後は米兵相手のクラブ経営
〓戦後、日本の大学剣道部を招き米国各地で日米対抗戦を開催した
〓ハリウッド映画スターのフェンシングのコーチもした
〓ローマ五輪に米国フェンシングチーム監督として参加。日本チームをこっそり指導したというエピソードがある
■森 寅雄とはどんな人物か
大正3年群馬県桐生市生まれ(旧姓・野間)。昭和4~6年巣鴨学園中学剣道部で全国優勝。昭和12年の渡米以来、ハワイ・西海岸中心に各地で精力的に剣道指導を行う。終戦時は群馬に疎開していたが、昭和24年再渡米。米国剣道連盟創設やブラジルでの剣道普及、日本の剣道家を招待して日米対抗戦を開催した。昭和42年ビバリーヒルズにフェンシング道場を開き、ハリウッドスターにもコーチ。昭和44年剣道の稽古中に狭心症で急逝。享年54
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