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ポーランドは度重なる戦いや三国分割、東西冷戦など、厳しく複雑な歴史を歩んできた。その間、ポーランド性を保つために芸術は大きな役割を果たす。本書では、こうしたポーランド美術、とりわけ前衛美術の継承と発展について、20世紀後半の芸術運動において大きな影響を与えたタデウシュ・カントルを起点としながら読み解き、日本の現代美術との比較を試みる。巻末には年表資料とクリコテカの常設展示解説のうち、「タデウシュ・カントル エピソード1」の日本語訳も掲載。
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ポーランドは、アジア諸国から比べれば人口は少ないが、中欧・東欧の大国で、首都ワルシャワだけでなく、南部の中心都市クラクフも魅力的で、西部のポズナンはポーランドの最古の都市である。重要な大国だが、18世紀末から20世紀前半まで、東側が隣接していたロシア、チェコ・スロバキアの南のオーストリア、西側のドイツに分割、支配された時期が長かった。その頃まで、ロシアとともに、もっとも多くのユダヤ人が住む国であった。
ワルシャワ美術アカデミーには、絵画・彫刻等のキャンパスと、デザインのキャンパス、そしてビスワ川の近くに調査研究キャンパスがある。調査研究キャンパスでは、歴史的な壁画や彫刻、そして伝統的書籍などの制作も行われている。絵画・彫刻キャンパスの庭には、学生が制作した古代ローマの巨大な人馬像が設置されている。ワルシャワ美術アカデミーは、現代的作品も伝統的作品もともに大切にする教育機関で、歴史的なクラクフのヤン・マテイコ美術アカデミーも、ポズナンのマグダレナ・アバカノヴィチ芸術大学も同様である。
加須屋明子著『現代美術の場としてのポーランド――カントルからの継承と変容』では、第一章の「ポーランドの美術・デザインの教育史」で、これら3つの重要な教育機関について詳しく説明されている。ワルシャワ美術アカデミーの絵画・彫刻キャンパスではグラフィック・デザインも盛んで、モダン・デザインも重視している伝統的美術アカデミーである。
同書ではタデウシュ・カントルについて、第二章から詳しく記述されている。カントルはクラクフの美術アカデミーで絵画を学び、次第に演劇に向かったが、戦後、美術と演劇の融合を推し進めた。『死の教室』をはじめとする、さまざまな舞台で、ポーランドが体験した複雑な近代の歴史が、不条理に、しかし興味深く、魅力的に表現されていた。カントルのさまざまな舞台は、20世紀後半からカントル没後の21世紀まで、日本を含む世界の演劇に大きな影響を与えている。
カントルは、絵画を学び、演劇に進んだ人物だが、第二章の副題「身体と記憶?美術と演劇の相関関係」が示すように、美術と演劇を密接に、あるいは必須に結び付けたアーティストということができる。本書『現代美術の場としてのポーランド ――カントルからの継承と変容』は、まさに、美術と演劇との関係、あるいは融合性、統合性を実感するのに非常に役立つ、重要な出版物である。
藤田治彦(大阪大学名誉教授)
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