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満州はこれから発展する――。
そう信じて、スミ子と家族は海の向こうへわたった。
昭和のはじめ、異国の地ですごした少女時代の記憶。
昭和2年、警察官となった父について、鹿児島から満州に渡った少女・スミ子の物語。
2歳から過ごした満州の地で、スミ子はたくさんのことを経験した。
多国籍な街での暮らし、柳条湖事件で近づいた戦争の足音、日本人学校での日常、親元を離れての寮生活、ひとり旅であじわった恐怖、紀元2600年の祝賀式での大役、迫撃砲をうけた父の負傷、そして、社会人に……。
「これから発展する」といわれていた時代の満州で、多感な時期を過ごした少女の暮らしをていねいに描く。
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ハルピンの生活で、スミ子は、新しい発見をしました。
ハルピンでは、あちこちで、音楽が流れています。小さな楽器を鳴らしているだけではなく、明るい色の服装をした青年や女の人が、歌ったり、おどったりしているのです。それは、毎日、あちこちで、見かけました。
特別におどろいたことは、五、六人の少年たちがやってくると、そのうちのひとりが、ポケットからハーモニカを出し、とびはねたいようなかろやかな音楽を流します。すると、ほかの少年たちは、待っていましたと言わんばかりに、そろっておどりだします。それは、コサックダンスだそうです。
街の通りや広場で歌ったりおどったりするのは、南の遼陽では見かけませんでした。遼陽はハルピンより暖かく、明るい街ですけれど、ハルピンは、音楽のあふれる、にぎやかな街です。
スミ子のアパートは、ハルピンでもいちばん多くロシア人の住んでいる街でした。アパートの窓からは、ロシア人の店先などが見えました。
ロシア人は、黒パンを買いにきました。パン屋さんの店が、スミ子のアパートからよく見えました。
「黒パンを食べたい」と、スミ子は、せがみました。
日曜日になると、大勢のロシア人が黒パンを買いにくるのです。ロシア人は、まとめ買いをしていました。
「わたしたちも、日曜日には、黒パンを食べましょうか」
と、お母さんが賛成してくれました。
黒パンは、焼き立ては、やわらかくてほのかにあまいパンでした。
「黒パンには、カルパスだよ」
お父さんと、パンを買いにいくと、カルパスというソーセージも買いました。
カルパスには、ハチミツをつけて食べるのが、ロシア人のしきたりでしたので、吉田家でも、同じようにして食べました。
キタイスカヤ街の生活は、スミ子はとても気に入っていました。
(「音楽のあふれる街」より)
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