「ポスト・トゥルース」時代における「極化」の実態

「ポスト・トゥルース」時代における「極化」の実態

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出版社
印刷学会出版部
著者名
塚本晴二朗 , 上村崇 , 眞嶋俊造 , 茨木正治 , 山田尚武
価格
2,860円(本体2,600円+税)
発行年月
2021年3月
判型
A5
ISBN
9784870852402

極化現象というのは意見が賛否に分かれる議題を集団で議論していると、両極端な意見へと集約されていく現象である。しかしポスト・トゥルース時代といわれる昨今では、ネットを中心に真実であるかどうかに関係なく、ただ敵対する相手を攻撃するだけの意見を浴びせるような事象が問題となっている。賛否が分かれるような争点を議論しているうちに、極化現象が起きたとして、もし双方が対立する側を言い負かすだけのために真実であろうとなかろうとなりふり構わず、ただ攻撃的な意見を浴びせるだけ、というようなことが起こる時代になっているとすれば、議論をすること自体がある意味で非倫理的だ、ということになってしまう。しかしその一方で、もし社会的争点があれば、全ての社会の成員が、徹底的に納得いくまで議論をするのが、民主主義の原則なはずである。
 本書では、今という時代の議論を倫理学的に検討を行った。

 第1章の「正しい罵り合い」では、議論の仕方を根本的に考察する。議論というよりも罵り合いといった方が適当であるようなものになってしまいかねない、現在のネット上の論争であっても、議論が民主主義の原則であるのならば、否定してしまうわけにはいかない。そこで逆説的に、正しい罵り合いというものは存在するのか、という点に着目した。
 第2章の「SNSの極化」では、平昌五輪期間中に発生した韓国産いちご問題を事例に、メディアの客観報道に基づいて、受け手の議論・対立(極化・分断)がどのように生じているかをダイアロジカルネットワーク分析によって明らかにした。それによって、ポスト・トゥルース時代における、極化現象のメカニズムの再構築を試みた。
 第3章の「『極化』・感情・熟議」では、平昌五輪報道の実証研究における極化モデルを踏まえて、メディア環境の変化と感情変数の考慮から検討。その後に極化と「熟議」とを感情によってつなげ、寛容性のある場の構築を試みた。
 第4章の「望ましい議論に向けて(ジャーナリストがすべきこと)」では、議論のためのジャーナリストの規範を検討した。そのために、まずジャーナリズムという活動の大前提を確認し、ジャーナリズムの定義を提示した。それに則った活動をするジャーナリストのアプローチを四つに分類し、特に意見が対立し議論になりうるような問題を扱う際に、どのような対応が想定されるかを考察した。そこから日本におけるジャーナリストの規範の導き出しを試みた。
 第5章の「望ましい議論に向けて(教育ですべきこと)」では、望ましい議論を形成する思考に焦点を定めて検討する。自らの正義感について批判的に考える態度が涵養されれば、他者を一方的に非難することはなくなるかもしれない。「正しい罵り合い」が公共空間のなかで成立するためには、一方的に相手を非難するのではなくて、罵り「合う」ことが必要である。罵り合う技術と態度を涵養することは、私たちの自ら発する言葉について敏感になり、規範的なお題目とは異なった言葉の力を取り戻すことにもつながる。そうした点に注目して考察する。

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