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青年の普遍的思索。
500万部突破の世界的名著、待望の復刊。
1979年に出版された『ぼく自身のノオト』
(原題:NOTES TO MYSELF)を
初版時の瑞々しい翻訳で新装復刻。
青年期の心をめぐる、
生き方を確立する方法をさがし求める
心理エッセイ。
訳者新装版あとがき:きたやまおさむ
装画:中田いくみ
(『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』)
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推薦:山崎まどか(コラムニスト)
13歳から20歳にかけて、
この本を何度も読み返し、
友だちや好きな人のみんなに貸した。
どのページのどの言葉も覚えている。
久しぶりに手にとって、これはもしかして、
いま必要とされている言葉ではないかと考える。
北山修の名訳だ。
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訳者あとがき(初版時)より
これは、一九七六年にBantam Booksから出版された‘Notes to Myself―My struggle to become a person’の日本語訳である。著者Hugh Pratherがこれを書いたのが一九七〇年で、そのとき彼は三十二歳、まったくの「無名」で、これといった「肩書き」もなかった。初版はアメリカ南西部のユタ州にある小さな出版社Real People Pressから大した広告もせずに発表され、数年の間に百万部を売りつくしている。内容は、小説でも詩集でもない。個人の日記の抜粋である。原文にはページ数の印刷がなく、どこから読んでもかまわないようになっており、もちろん目次もない。数年前まで学校のカウンセラーをやっていたというこの書き手は哲学者でも文学者でもなく、「みんなと同じ平凡な人間」である。
彼はいっさいの虚偽を許容できないらしい。彼は内的な現実をできる限り受けいれて、自らの内部にある真実を読者に伝えようとする。日本語を利用するなら、タテマエを拒否して、ホンネをできる限り表現することで、「ぼく」を確立する方法をさがし求めている。ゆえに、創作性のないこの本を文学性や思想性によって価値づけを行う必要はないし、実際にそんなことは不可能だろう。発想や行動の基盤をつねに「ぼく」に置いて、その「ぼく」の一部や全部が「ぼく」から遊離していくこと、さらに異物が「ぼく」のなかに入りこんで「ぼく」をしばりつけること、を罪悪視するのなら、実に日記という表現形式がもっともふさわしいものだったのである。私たちはホンネを言うことを自らを被害者化することと同じであると考え、「めめしい」と言ってそんな「ぼく」を切りすてようとする。しかし、著者のホンネは、決して弱音を吐くことではなく、自らの弱音をも自らのものとして語って相手と交流しようとする態度は一種の強さでもある。
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