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16世紀後半の教皇庁で生涯のほとんどを過ごした歴史家のパオロ・ジョーヴィオが、フィレンツェの文学者ルドヴィーコ・ドメニキを相手に、ルイ一二世からフランチェスカ・ゴンザーガ、コジモ・デ・メディチ、アレッサンドロ・ファルネーゼ、ロドヴィーコ・アリオストまで、君公・軍人・聖職者・文学者など百余名の個人的思念や企図を表わすインプレーサ、象徴的イメージ+機知溢れるモットーについて語り尽くす、ヨーロッパで最も影響を与えた白熱のインプレーサ論議!
「インプレーサ」(impresa)とはラテン語の「企図する」(imprendere)の完了分詞から派生された語であり、文字どおりには「企図されたもの」を意味する。ルネサンスのイタリアにおいては、君公や軍人や芸術家などの個人(のちにはアカデミーも)が身につけている、モットーとイメージから構成される象徴的な図案がインプレーサと呼ばれた(もっぱらイメージを指す場合もある)。インプレーサは個人の性格、思念、意図、願望を表現するものであり、同じような象徴的な図案であっても、モットーを欠き、一族によって継承されていく紋章とは区別される。また、モットー・図像・エピグラムという三つの要素で構成され、一般的な倫理や道徳などを説くエンブレムとも異なる。
歴史的にインプレーサの出現は、14世紀の終わりごろの、ブルゴーニュ公国の宮廷にも求められる。フランス語では、それは「ドゥヴィーズ」(devise)と呼ばれており、語源的には古フランス語の「分割する」(divido)に由来し、お互いを「区別するもの」という機能に注目した命名であろう。ドゥヴィーズはすぐに貴族たちのあいだに広まっていき、馬上槍試合において誇示され、肖像画の中に記され、邸宅内に描かれたのである。
『戦いと愛のインプレーサについての対話』の冒頭において、ジョーヴィオはインプレーサという慣習が、一五世紀後半に起こった、フランス国王シャルル八世とルイ一二世のイタリア侵攻にともなって、フランスからイタリアに流入したと述べている。すなわち、フランス軍の騎士たちが、自分が属する隊長ごとに異なるインプレーサを身につけて、お互いの識別を容易にしていたばかりか、それ自らの外衣に美しく刺繍されていたことが、イタリア人を刺激してインプレーサの作成に向かわせたのである。ルイ一二世のインプレーサは、王冠をかぶった豪猪であり、モットーは「近くから、また遠くから」であった。
ジョーヴィオはまた、ドメニキから古代の例について問われて、ウェルギリウス『アエネアス』、ピンダロス『ピュティア頌歌』、スタティウス『テーバイス』という文学作品やプルタルコスの『対比列伝』からその例を引いている。加えて、有名なティトゥス・ウェスパシアヌスのメダルに刻まれた、錨に巻きついた海豚という図像と、「ゆっくりと急げ」というモットーを紹介している。さらには、フランスのシャルマーニュの騎士たちの各々が所有していたインプレーサについて言及している。
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