ひとりの男性(Y氏、1980年死去)が、1974年に水俣病認定申請、さらに1979年の申請棄却処分からその棄却処分取消しを求めて、行政不服審査を請求した。1999年に環境庁と熊本県から水俣病と認定されるまでの経過と真相、責任の所在を明らかにする。
従来、ブラックボックスとなっていたY氏の審理に関する環境庁と熊本県のやりとりを示す内部資料(申入書、診断書、弁明書、裁決書等)をすべて収録。1999年1月19日「環境庁は水俣病をめぐる男性の行政不服審査請求において、水俣病と認める裁決を遺族に交付せず放置していた」と報じた新聞記事がなければ政治決着の流れの中で、闇の中へ葬り去られたままだった裁決放置事件を、いま再び問い直す。
誰のための救済制度なのか。〈水俣病〉救済制度の正体をあぶり出す資料193点
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