1~2日で出荷、新刊の場合、発売日以降のお届けになります
◎「朝日新聞」2020.7.29
《自然にとって人間とは何か--。その問いに対する運動の中心には、詩人たちもいた。中心を担った一人が、山尾三省…だ》
◎和合亮一さん評(「産經新聞」2020.6.13)
《南の大地に暮らす静けさと深さが読む心を新鮮に育ててくれる》
◎宮内勝典さん評(「日刊ゲンダイ」2020.5.26)
《山尾三省の詩を読み返すのは不思議な体験だった。かれの詩には山河があり、海があり、自然と人間の濃密な繋がりが歌われている》
◎佐藤モニカさん書評(「南日本新聞」2020.4.12)
《三省の詩はどこまでも暮らしの上に、土の上にあるのである。三省の詩は詩を初めて読む人にも受け入れやすい》《屋久島の空や海、そして緑が、胸一杯にひろがってくる》
◎管啓次郎さん書評(「現代詩手帖」2020.4)
《日々の暮らしのすきまで記されたことばは、それ自体が枯れ枝や浜辺の石や流れてゆく雲のような質感をもち、静かさを希求している》
びろう葉帽子の下で
じゃがいもを 掘る
びろう葉帽子の上には
みっしりと夏の陽が 照りつけているが
びろう葉帽子の下では
静寂浄土が 広がり
じゃがいもが 掘られている
ものいわぬ わたくしが掘られている
びろう葉帽子の下で
じゃがいもを 掘る
--山尾三省「びろう葉帽子の下で その一」
詩は言葉によって書かれている、とお思いですか? いいえ、かならずしもそうとはかぎりません。ときどき、ほんとうにまれに、特異な詩人がいます。自分や世界を表出するための道具が、本質的には言葉ではない詩人です。詩はすでにおのずからそこにあって、それを追いかけてゆくためだけに言葉をそっと紡ぎだすような詩人です。
--今福龍太「序」
歌のまこと、私のまこと。
詩あるいは歌は、絶望に耐える希望あるいは祈りとして太古以来つくられ続けてきた。日常の中で非日常的な時をつづった詩人・山尾三省の代表作。「歌のまこと」「地霊」「水が流れている」「縄文の火」「びろう葉帽子の下で」と題された、全5部247篇を集成した1987年刊の新版。あらたに文化人類学者・批評家の今福龍太の序を収録。?(発行=野草社)
よく利用するジャンルを設定できます。
「+」ボタンからジャンル(検索条件)を絞って検索してください。
表示の並び替えができます。